内藤耳鼻咽喉科医院|東武野田線鎌ヶ谷駅東口より徒歩1分の耳鼻咽喉科

東武野田線鎌ヶ谷駅東口より徒歩1分。耳・鼻・のどの諸症状は当院までお気軽にご相談ください。

2007年10月23日(月) 自分で自分の足を縫ってみました

昨夜、風呂から出るときに、扉の下の角に右足の甲を思いきりぶつけてしまいました。扉を閉めながら右足を抜こうとしたのですが、扉の方が先に閉まってしまったのですね。
見ると一辺が2㌢程の正三角形の穴が出来ていました。
皮膚がちぎれて取れてしまったかと思いましたが、手で周囲を寄せてみると上手く合わさるではありませんか。少しホッとしましたね。
角がグサッと刺さると傷は三角形に開いてしまうものなのですね。とりあえずテープで傷口を寄せて、ガーゼを当て包帯を巻いて寝ました。夜中には2~3回目が覚めましたね。今日は足を引きずりながら駅前を歩いて医院に到着しました。普段なら駆け上がる階段も使わずエレベターに乗りました。

昼休みにガーゼを開いてみましたが、予想通りぱっくりと口が開いていましたので、とうとう大縫合術が始まりました。執刀医は私です。患者も私という変な手術となりました。助手はいませんが、観客が時々控え室からやって来ました。

まず、痛み止めの注射です。毎年インフルエンザの予防接種は自分でやっていますが、あれよりかなり痛いですね。常日頃、患者さんには「ハイ!痛み止めです。ちょっと痛いですよ。」などと気合いを掛ける意味もあってややテンションを上げて言うことにしているのですが、自分に射すとなるとそうはいきません。
おおっ・・ムムッいててて・・・なんて感じて4カ所に射しました。と言うか1カ所は失敗しました。痛いので手が引けて針が抜けてしまったのです。少し経つと周囲が白くなってきました。ボスミンという血管収縮剤が効いてきたのです。ピンセットでソロッと触っても感じませんでしたが、何とも嫌な感じでした。そして針付きのナイロン糸で縫い始めたのです。何故かいつもと違って針の掛かりが悪いというか、今一力が入らず縫いにくいものでした。ジワッと汗も出て口も渇いてきました。4針縫ってようやく終了となりました。

患者さんを10人くらい続けて手術したような疲れが残りました。

スタッフの1人に、ビデオに撮っておけば良かったのに、と冷やかされました。10年余り前に息子の足の怪我を縫う場面をビデオに収め、テレビ局に送ったところ、賞品やら賞金やら大変良い思いをしたことがあります。
今回はとてもそんな余裕はありませんでした。1週間後に抜糸の予定です。

2007年10月23日 00:00

2006年12月03日(日) 昔の名前は「夕張炭坑病院」

月日の経つのは本当に早いもので、今年もあと1ヶ月となりました。
半年以上、日記を書いていないと、来院される患者さんから「最近更新されてませんね。」と指摘をされてしまうこの頃です。思うことはあっても、元来、明日出来ることは今日しない、というあきれた性格だけに今日まで来てしまいました。

最近気になっていることで、ちょっと変わったことと思われそうですが、北海道夕張市の財政破綻問題があります。テレビや新聞にもこの話題がしばしば登場していますが、市が630億もの借金を抱えて破産してしまったという問題です。

実は、私は鎌ヶ谷で開業する前の2年間、もう15年以上前のことになりますが、札幌に住んでいた頃に月に2回、夕張市では唯一の公的医療機関である市立病院へ出張していたことがあります。朝8時頃に自宅を出て、ちょうど石狩平野を東へ横断するように走り、最後につづら折りの坂道を上り、トンネルを抜けると夕張市街に着きます。夕張市は南北に細長い盆地の中にあります。その頃には既に炭坑は全て閉山となっていましたが、いわゆる炭坑街という雰囲気は随所に残っていました。マウントレースイスキー場や、ちょっと夕張には不釣り合いの小洒落たホテルを右手に見ながら5~6分北へ走ると、市立病院がありました。9時半から30~40人程の患者さんを診察し、お昼の弁当を頂いて、帰路に就いていました。平成2~3年の頃でしたが、当時の人口は2万5千人くらいだったと思います。最盛期が12万人で、現在はその十分の一程度だそうです。

有名な夕張メロンが特産ですが、その出荷時期だけ街道が少し賑わいます。ドライバー目当てにメロンを並べて売り出すのです。鎌ヶ谷でも秋には梨を売るのと同じです。デパートで買えば、当時でも1個何千円もするメロンでしたが、私が買ったのは300円から500円の物ばかりでした。1個100円なんていうのもありました。形がいびつ、へたが取れて無い、熟れすぎて日持ちがしない、というものばかりでしたが、味、色、香りは全く遜色ないものでした。

テレビの報道番組では市立病院の副院長が登場し(院長はすでに辞職していたようです。)、「病院存亡の危機だ。」と訴えていました。知り合いに聞けば分かることですが、今では、きっと耳鼻科は廃止になっているのではないかと推測します。

国からの締め付けは相当厳しく、転居可能な世帯はどんどん街を出ていっているようですが当然ですね。かつては黒いダイヤと呼ばれた石炭で賑わった街をはじめ、日本海側のニシン御殿、本物の金が産出され賑わった鴻の舞など、北海道はもともと栄枯盛衰が激しい土地柄と思います。テレビのコメンテーターは観光拠点にしろとか、映画村を作るなどという意見を述べていましたが、それはあの地域を知らない人の物言いと感じました。

私の予想はきわめて悲観的で、10年後には市立病院はおろか、「市」そのものが消滅して近隣に吸収され「夕張地区」という名前だけが残されているように思え、寂しい気持ちにかられますが、いかんともしがたいのです。

2006年12月03日 00:00

2006年05月31日(水) この領収書、何とかならんか!

4月1日から、また保険診療の法律が変わりました。もっとも法律の改正は2年ごとに繰り返し行われて来たので、そのこと自体はどうということではありません。
日本の保険診療では、初診料は何点、再診料は何点、レントゲンを撮ると何点、と言った具合に事細かにすべてに点数化されています。そして来院された患者さんは、その点数の合計から個々の保険の給付率に合わせた一部負担金を計算し、窓口で支払っていただいているわけです。

その点数が、2年ごとに変化するのです。中には消えてしまう項目もあれば、新設されるものもあります。そんな点数を1つ1つ医者はもちろん医療事務員でも正確に覚えきれるものではないので、最近では、多くの病院ではパソコンに登録して計算しているのが現状です。

今回の医療法の改正では6ヶ月の移行措置期間を設けて、窓口での領収書の発行が義務づけられました。その内容はただ一部負担金の金額を明記するだけではなくて、保険点数も逐一明記することになっています。大病院ではこれまでも領収書を発行していた所も多く、とかく不明朗だと言われてきた医療費ですから私も以前から、そうすべきだと思っていました。

先週から当院でも領収書を発行できるようになりました。ところがいざ領収書を出してみて私は大いに不満を感じています。領収書の紙が大き過ぎます。院外処方箋と同じA5サイズです。処方箋は薬局へ出せば無くなりますが、あの領収書を毎回渡されたら、どうお思いでしょう。どうしましょう。
大病院でたまに受け取る領収書ならまだしも、耳の手入れや、ハナのそうじに来院される患者さんが少なくない診療所には大げさ、と感じるのは私だけでしょうか?今のところ当院の窓口では「へええー」という印象だそうで、苦情はないようです。私ならそのうち、こんなの要らないと言ってしまいそうですが、その場合には所定の用紙に署名が必要なのだそうです!! ギャフン

2006年05月31日 00:00

2006年03月20日(月) 老眼鏡の使用経験

去年の暮れにとうとう、いわゆる老眼鏡を購入しました。
小岩で眼科を開業している高校時代の友人の所で、視力検査や眼圧、眼底など諸検査を受けました。医者が医者を診察するというのは、何かくすぐったい気持ちになるもので、まして昔の同級生ともなればなおさらであり、お互いが吹き出しそうになる気持ちを押さえながらの診察が行われたのであります。

最後に、右が+1.0だの、左が+1.5だのとかブツブツいいながら眼鏡の処方箋をかいて、「これ持って眼鏡屋さんに行けばいいよ。高いのは必要ないから、1個2~3千円でも十分だよ。安いのをいくつか買っといて、その辺に置いておくと便利だよ」との仰せでありました。

その友人の眼科医もそうですが、医者の多くは眼鏡をかけていて、眼鏡をかけるということに余り抵抗がないようです。ところが、私のようにサングラス以外の眼鏡は初めての者にとっては結構ストレスになるのです。確かに眼鏡を掛ければ細かい文字は大きくはっきりするのですが、回りはぼやけるし、常に鼻にひっかかっているのがうっとうしくなります。

フレームは「NIKE」製で、細く少々若作りで、ちょっとお高めものにしました。そのうち使うこともあるかと考え診察台の引き出しにしまっておきましたら、意外に早くその時がやってきました。
先日、ウナギの骨をノドに引っかけたおばあさんがやってきました。見えるのに上手くつまめず、内心イライラが募りました。試しにと、その老眼鏡を取り出し掛けてみますといやあよく見えますこと。すぐにウナギの骨を取り出すことが出来ました。

嬉しいような、哀しいような変な気分でありました。

2006年03月20日 00:00

2005年10月09日(日) 今はもう秋

今日は連休の初日で外は雨です。前回この「気まぐれ日記」を書いてからもう半年が過ぎてしまいました。特別何かトラブルがあったわけではありません。従業員募集もうまくゆき、一息ついていたらもう夏が過ぎてしまったというところでしょうか。

私は時々海釣りに行くので、しばしば船宿のホームページを覗いては、最近の釣果情報をチェックしているのですが、感心することに、船長が書いているのかホームページ担当者が居るのか知りませんが、多くの船宿で毎日の釣果をきちんと報告されています。大漁の日ばかりではなく、いや、大漁の日の方が少ないと思いますが、貧果が続いても、その日の天気や海の様子、釣り客のご機嫌など、色々書かれています。貧果が続いている時など、かえって書かない方が、お客が来るのでは・・・などと穿った見方をしてしまいますが、よく続けて書けるものだと思います。

 ところが、私が大学時代の友人と行く富浦の某船宿は、5月にイサキが釣れていると書かれてから、更新されずに今に至っており、来週行った際には、一言聞いてみようと思う次第であります。

例年のことではありますが、少し涼しくなると医院の方では「はな垂れ坊主」が増えてきました。それと、スギほど有名ではなく患者さんもそれ程多くはないのですが、秋の花粉症の患者さんも来院されています。秋はブタクサやヨモギの花粉が知られていますが、中にはカナムグラという雑草が原因となっている方もいます。調べ始めたらキリがありませんが人それぞれ、色々あるものです。

2005年10月09日 00:00

2005年04月17日(日) スタッフ募集

今日、とある広告代理店に申し込んでおいたスタッフ募集広告が朝刊のチラシに載っています。今回から、広告料五千円アップでインターネットにも掲載されるとのことです。と言うことは、ついでにこのホームページをご覧になる方もいるわけだなと考え、昨日に引き続きこの日記に一言書いておこうと思った次第であります。

開業医になると医師本来の仕事以外に、色々な仕事が覆い被さってきます。まさに院長兼、小使いなのであります。その中で最も重要であり、また悩みの種であるのが、この「スタッフ募集」なのです。開業以来、この“行事”は年に1~2回は繰り返されており、その度、広告原稿の打ち合わせ、場合によっては20人以上の方との面接、選考と不採用者へのお詫びと履歴書の返送、などの雑務が発生し、これが花粉症の時期とダブろうものなら、思わず「何処か遠い国へ旅に出てみたい」状態になるわけです。

当院のスタッフの中には、10年勤続で鎌ヶ谷市医師会から表彰された、誠にありがたい方もおりますが、中には1日で辞めた、3日で辞めたという不届き者も過去にはいました。このような事態だけは避けたいと願っておる次第です。

2005年04月17日 00:00

2005年04月16日(土) まだちょっとハナが出るなあ

ようやく下火になりました。前評判通りに今年のスギ花粉症は大変でした。
夜10時に診療終了となった日もありました。これって、何か変だなと感じながら診療に追われた1~2ヶ月でありました。私自身花粉症ですので、○○と××を内服し、△△を鼻に噴霧して、□□を点眼して、さらにこれが一番大切なのですが、鼻の形に曲がるマスクを装着して花粉症対策の説明に追われる毎日でした。説明しながら半分本気で思ったことは、やはり関東一円のスギの木を切り倒す事が、この地域における根本的な解決策ではないかということでした。

こんなにスギ花粉が飛ぶようになってしまったのは戦後の大量の植林が原因であることは事実であり、これまでいろいろ薬が開発されてきたものの、これぞと思われる特効薬はこれまで出てきてないし、今後も当分無いでしょう。にもかかわらず、毎年新規の花粉症患者が数多く発生し、いったん仲間入りとなれば毎年のこととなるわけで、来年は今年ほど花粉は飛ばないにしろ、数年後にはまた同じか、それ以上の事が繰り返されるのは必定で、バッカじゃなかろうかという気分に浸ってしまうのであります。

それともう一つ気になっていることは、本来なら再来すべきはずの患者さんが来ていないこと。きっと、ごった返す受付を見て、諦めて帰ってしまったのだろうと思います。医者の頭の中は、日々いろんな患者さんを診察し、様々な所見を視ているわけですが、どうでもと言ったら怒られそうですが、大したことのない所見はすぐに忘れてしまいます。その代わり、気になる所見があると、その患者さんの顔は忘れてもその所見だけは覚えているものです。そんな患者さんが数人来ていないようで、変に気になる今日この頃であります。

2005年04月16日 00:00

2005年02月23日(水) スギカゼインフルエンザ・耳鼻科医ふんばる

先日、実は蔵王に行って樹氷を見て来ました。北海道生活が長かった私は、氷点下で起こる様々な光景には慣れていたはずでしたが、樹木がそのままモンスターのようになっている樹氷には感動しました。北海道でも見たことはありませんでした。気温以外にも、標高、湿度、強風など色々な条件が重なってできるのでしょう。山頂付近は雲が切れることはなく、強風が吹き付けていました。月山や鳥海山は見ることが出来ませんでしたが、なぜか映画、「たそがれ清兵衛」のバックの風景が思い出されました。

今日は関東地方に春一番が吹き荒れ、とうとうスギ花粉症の本格的シーズンとなったようです。私は1週間前から薬を朝晩飲み始めており、まだ平穏であります。まさかこの調子でシーズンを乗りきれはしないと思いますが、ゴーグルとマスクも使って、3月中旬にはもうひとつ更に薬を内服すれば何とかなるでしょうか?毎年毎年、いい加減に何とかならないのか、と思うのは私だけではなく、小泉総理大臣も同じだそうです。

インフルエンザも2月になって流行ってきました。ここだけの話ですが、今年はとうとう私自身への予防接種をしそびれてしまいました。ちょっと不安な毎日ですが、今のところ大丈夫です。毎日インフルエンザの患者さんに接しているうちに自然と免疫が付いていると良いのですが・・・。そんな事を書いてある教科書は見たことがありませんが・・・。

そもそも、インフルエンザの予防接種の効果は完璧なものではないのです。きちんと2回接種しているのにもかかわらず、インフルエンザになったお子さんを目の前にして悔しがるお母さんが1人や2人ではありません。もちろん予防接種はやるなと言っているのではありませんし、受けた方がよいとは思いますが、そんなわけで、今のところ当院では、保健診療でもない予防接種乗務を行う予定はありません。悪しからず。

さらに、いわゆるカゼも例年通り流行っております。
何とかこの体調を維持して2月、3月を乗りきりたいものです。時間帯によっては診察までに、相当お待たせしていることもあろうかと思いますが、お許しの程御願いいたします。

2005年02月23日 00:00

2005年01月05日(水) 明けましておめでとうございます

大晦日には吹雪模様の雪で、そこら中が大渋滞でした。愚妻の誘いに乗って買い物に出かけた私は、えらい目に遭いました。年が明けてからは、窓から見える空は青く澄んではいるものの風が強く、この休みは釣りにも行けずに終わりそうであります。

年末から私はハナ風邪状態でしたが、生活のリズムが狂ってしまっているのと、はっきり言ってアルコールの過剰摂取のせいでしょう、未だに治りません。ハナをかむと血が出るのです。仕事柄、鼻血が出ると言って来院される患者さんを私は毎日診察しているわけですが、実際白いティッシュにパッと血液が飛び散っているのを目の当たりにするのは、あまり気持ちの良いものではありません。きっと、キーゼルバッハ部位と呼ばれるところから出ているのだろう、と高を括っておりますが、自分で自分のハナの中の診察は簡単ではなく、後鼻漏と合わせてちょっと気になるこの頃であります。

空気が乾燥するこの季節は、鼻や喉には負担が大きくなる時期であります。今のところ、インフルエンザの発生は散発的のようですし、去年恐れられ、さかんにマスコミにも取り上げられていたSARSの話も聞きませんが、今後の天候次第といったところでしょうか。

一方、去年からさかんにマスコミに取り上げられている話題が、スギ花粉症です。史上最高の飛散量とか、前代未聞の蕾の量、などといってその恐怖心を煽るような報道が目に付きます。ただSARSと違って死ぬような病気ではないためか、その報道には、少し可笑しさを伴っているように感じてしまうのは不謹慎でしょうか。もちろん!? 私も5年ほど前からスギ花粉症の仲間入りをしてしまい、季節になれば1~2種類の内服薬とスプレー、点眼薬に頼っているのであります。確かに、一昨年、去年と花粉の少ない年が続きましたし、去年の夏は猛暑となり、今年は暖冬とのことで、花粉が増える条件にピッタリです。

毎年12月になると少しは花粉が飛び始めるため、非常に敏感な患者さんが、ハナが変だといって来院されますが、今回はそのような患者さんが例年より目立ったのも気になるところです。花粉飛散量予測は地域によりかなりばらつきがありますが、船橋地区の予想は、2000年や2001年位になるだろうとの事です。

もっとも確実な治療法は、転地療法です。過去には、「札幌の実家に帰る。」と怒りながら帰った患者さん、「ハワイの別荘に行く。」と笑いながら帰った患者さんがいらっしゃいました。羨ましい限りです。それが叶わない私を含めた大部分の方々は、しっかり薬を飲んで、外出時にはマスクとメガネの着用、ツルツルの服を着て花粉をなるべく付着させないこと。天気が良くて思わず日光浴に出掛けたくなる時はぐっとガマンで、家の中で待機です。それでもどうしても出掛けたくなった時にでも、山は決していけません。私は4年前に青梅の梅園に出掛けて、悲惨な目に遭いました。メガネもマスクも薬も何も効きませんでした。グショグショ、ボロボロになってしまいました。スギの木がない海へ向かいましょう。海岸や海上に出て、気晴らしに釣りでもしましょうか。

2005年01月05日 00:00

2004年11月03日(水) 専門医、認定医

私は現在、日本耳鼻咽喉科学会専門医と、日本気管食道科学会認定医という肩書きというか資格を持っています。
今から20年くらい前から耳鼻科に限らず、各科で○○専門医とか××認定医という制度を作り始めました。全科合わせるとそんな資格がいくつあるものか、50や60では済まないかも知れません。私が持っていない名称でちょっと良いなあと思うものには、アレルギー専門医とか甲状腺専門医、等という資格もあるようです。

ところが、少なくとも私が持っているこの2つの資格で何か特典でもあるのかというと、全くありません。専門医だから鼓膜切開が出来るとか、認定医だから診断書が書けるといったことではないのです。もっとも私がこの資格を取った当時は、履歴書と認定料・ン万円を支払っただけでなれてしまったので、大きな事は言えませんが・・・。現在では専門医試験があり、ポツポツ落ちている医師もいるようです。専門医通信という小冊子があり、時期になると試験問題が掲載されるので時々覗いてみるのですが、その度、ああ早く専門医になっていてよかったと思う始末です。

またこの資格には更新という制度があります。医師免許は一度取得すれば、相当悪いことをしない限り剥奪さることはない凄い!?制度があるようですが、専門医や認定医は5~6年毎の更新のため、条件をクリアしないと資格を喪失してしまいます。それにはまず、認定料ン万円を支払わなくてはなりません。資格をいくつも持っていると更新料もバカにはできません。

またその期間中に学会出席、学会発表、論文作成などの実績を積み上げ、それぞれポイント化された点数を一定以上稼ぐことが義務づけられているのです。学会でもその規模によって点数が異なります。日本耳鼻咽喉科学会総会だと点数が高いのです。大きな学会といっても日本医師会総会ではダメだと思います。東京近郊に住んでいれば学会も数多く開催され、点数は稼ぎやすいのですが、地方に住んでいる医師にとってはけっこう負担になる方もいるようです。

大学病院や地域の基幹病院で仕事をしている場合は、特別な配慮がなくてもそれらの資格を取ることは可能です。しかし逆に、開業医となると今のところ資格は医師免許だけで必要十分ですし、むしろもっと別な資格が必要とも思われるこの頃です。

耳鼻咽喉科学会の専門医は、多くの耳鼻科医が取得しており、日々の常識的な活動の中で更新できてしまうものです。平日の夜、耳鼻科の会合が開かれることもありますし、週末には東京近隣では毎週のように何かしら研究会のような会合が開かれております。1つ1つの点数は少ないですが、出席さえすればそれなりの点数が加算され、OKであります。

一方、それに比べ気管食道科学会の認定医というのは、けっこうマニアックです。私の大学時代の恩師である教授も、発足当初に、この認定医制度はハードだと漏らしておりました。全国の耳鼻科医の中でも、数百人程度のものだと思います。こんな資格は開業医にとっては必要ないと思いつつも、一旦取った資格を流してはもったいないとも思い、毎回更新しております。

今月26日は午前中、休診にして出席カードを出しに行って参ります。知らずに来院される患者さんもいらっやると思いますが、悪しからずご了承下さいませ。

2004年11月03日 00:00

医療法人社団 弘翔会 内藤耳鼻咽喉科医院

〒273-0137
千葉県鎌ケ谷市
道野辺本町1丁目3-1
カーラシティ鎌ケ谷2F

院長 内藤 義弘

TEL 047-443-3387

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駐車場あり

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