2006年12月03日(日) 昔の名前は「夕張炭坑病院」
月日の経つのは本当に早いもので、今年もあと1ヶ月となりました。
半年以上、日記を書いていないと、来院される患者さんから「最近更新されてませんね。」と指摘をされてしまうこの頃です。思うことはあっても、元来、明日出来ることは今日しない、というあきれた性格だけに今日まで来てしまいました。
最近気になっていることで、ちょっと変わったことと思われそうですが、北海道夕張市の財政破綻問題があります。テレビや新聞にもこの話題がしばしば登場していますが、市が630億もの借金を抱えて破産してしまったという問題です。
実は、私は鎌ヶ谷で開業する前の2年間、もう15年以上前のことになりますが、札幌に住んでいた頃に月に2回、夕張市では唯一の公的医療機関である市立病院へ出張していたことがあります。朝8時頃に自宅を出て、ちょうど石狩平野を東へ横断するように走り、最後につづら折りの坂道を上り、トンネルを抜けると夕張市街に着きます。夕張市は南北に細長い盆地の中にあります。その頃には既に炭坑は全て閉山となっていましたが、いわゆる炭坑街という雰囲気は随所に残っていました。マウントレースイスキー場や、ちょっと夕張には不釣り合いの小洒落たホテルを右手に見ながら5~6分北へ走ると、市立病院がありました。9時半から30~40人程の患者さんを診察し、お昼の弁当を頂いて、帰路に就いていました。平成2~3年の頃でしたが、当時の人口は2万5千人くらいだったと思います。最盛期が12万人で、現在はその十分の一程度だそうです。
有名な夕張メロンが特産ですが、その出荷時期だけ街道が少し賑わいます。ドライバー目当てにメロンを並べて売り出すのです。鎌ヶ谷でも秋には梨を売るのと同じです。デパートで買えば、当時でも1個何千円もするメロンでしたが、私が買ったのは300円から500円の物ばかりでした。1個100円なんていうのもありました。形がいびつ、へたが取れて無い、熟れすぎて日持ちがしない、というものばかりでしたが、味、色、香りは全く遜色ないものでした。
テレビの報道番組では市立病院の副院長が登場し(院長はすでに辞職していたようです。)、「病院存亡の危機だ。」と訴えていました。知り合いに聞けば分かることですが、今では、きっと耳鼻科は廃止になっているのではないかと推測します。
国からの締め付けは相当厳しく、転居可能な世帯はどんどん街を出ていっているようですが当然ですね。かつては黒いダイヤと呼ばれた石炭で賑わった街をはじめ、日本海側のニシン御殿、本物の金が産出され賑わった鴻の舞など、北海道はもともと栄枯盛衰が激しい土地柄と思います。テレビのコメンテーターは観光拠点にしろとか、映画村を作るなどという意見を述べていましたが、それはあの地域を知らない人の物言いと感じました。
私の予想はきわめて悲観的で、10年後には市立病院はおろか、「市」そのものが消滅して近隣に吸収され「夕張地区」という名前だけが残されているように思え、寂しい気持ちにかられますが、いかんともしがたいのです。