内藤耳鼻咽喉科医院|東武野田線鎌ヶ谷駅東口より徒歩1分の耳鼻咽喉科

東武野田線鎌ヶ谷駅東口より徒歩1分。耳・鼻・のどの諸症状は当院までお気軽にご相談ください。

2009年02月22日(日) どうしましょう、新型インフルエンザ

毎年のことではありますが、インフルエンザが流行っています。
ピークは越えたようで少し下火になってきました。今年は耐性インフルエンザといって特効薬のタミフルが利かないインフルエンザが目立っているようにマスコミは伝えていましたが、現場の印象はさほどではないように感じました。
私は幸いにも、もう10年以上インフルエンザにかかったことがありません。予防接種をしているからなのか、毎日インフルエンザの患者さんと接しているので自然に免疫が強化されているのか、今年も大丈夫そうです。

 

ところが、いつか必ずやって来ると言われている新型インフルエンザになると話は別です。これもまた、いろいろとマスコミでも取り上げられています。鎌ヶ谷市医師会でも、先月これに対する第1回目の協議会が行われました。新型インフルエンザが蔓延すると4人に1人は感染するといわれ、鎌ヶ谷市内で数万人の患者さんがあふれるという予測も成り立つのだそうです。その患者さんを市内の診療所で診察することになると、さらにインフルエンザを広めることになりかねないため、発熱して来院した患者さんは、たとえば市役所の保健管理センターに集中させ治療しようという案も出されていました。では、そこで仕事をする医療スタッフをどう確保するのか、ボランティアは何人いるのか、入院が必要な場合はどうするのか、今のところ結論は出ていません。

 

はっきり言って私は今からあきらめています。新型インフルエンザが流行ったら私はきっと感染してしまうでしょう。発熱を主訴に来院する患者は毎日何人も出てくるでしょう。その患者さんたちを保健管理センターへ全員向かわせることはできません。インフルエンザでなくとも発熱している患者さんは何人もいるわけです。患者さんは自分がインフルエンザかどうかわかりません。診察や検査が必要です。そんな事をしていたら、新型ですから私に免疫があるはずはなく、うつるのは必定。流行る前からそのためのワクチンを作ることは困難で、素早く作ってそれを接種しても免疫力が上がるには3週間は必要です。それではとてもインフルエンザの伝搬力には追いつけないでしょう。

私は平成4年開院以来、体調不良で午前中2回休診にした以外は、比較的健康には恵まれて診療を続けて来ましたが、この新型インフルエンザにはやられてしまうと思っています。その際には申し訳ありませんが1週間休診にさせていただきます。罹ったかなと思ったらすぐにタミフルかリレンザを投与し、場合によっては点滴を誰かに頼んで回復を待つつもりです。まだ、これで死んでしまうほど体力は落ちていないはずだと、高をくくっております。元気になりましたらボランティアにも参加することにも、やぶさかではありません。でも、その頃にはスギ花粉も飛び始める季節で、考えただけでも猛烈に忙しそうで、私は働きすぎで死んでしまうかもしれません。

2009年02月22日 00:00

2008年10月13日(月) 風のガーデン

先日、まさに緒形拳の遺作となった、フジテレビの「風のガーデン」というドラマが始まりました。内容は全然知らないままにテレビを見ました。なんというタイミングの良さ?と言っては不謹慎なのか、ほかに言葉も見つからないのでそう書いておきますが、きっと偶然そうなったのでしょうが、亡くなって数日のうちにそんなドラマが始まるとは驚きでした。

主役は中井貴一で、東京で働くバリバリの麻酔科医、緒形拳はその父親役で北海道の富良野に住む老医師という設定でした。ドラマに医者が出てくるのは珍しい話ではありませんが、麻酔科医はこれまで記憶がありません。麻酔科医というのは病理医とともにDoctor’s Doctorともいわれ、世間ではあまり馴染みがありませんが、医者の世界では、一段格上の存在なのです。
ちなみに耳鼻科医は全くその逆で、ドラマでも決してシリアスな場面では登場いたしません。出てくるのは漫画か、以前のドリフターズのドタバタ喜劇の中で、額帯鏡を逆さまにかぶって登場する位なものでした。そんなわけで、麻酔科医が登場した事は私にとってかなり以外で興味深く感じました。

 また、脚本が倉本聰という事もドラマを見ていて知りました。倉本聰と言えば代表作は「北の国から」ですね。1980年ころ、富良野を舞台にした田中邦衛が演じる黒板五郎とその家族の物語でしたが、バックを流れる「さだまさし」の歌と、今でこそ有名になりましたが、富良野や美瑛、そしてその向こうに見える大雪連峰の美しさが脚光を浴び、一世を風靡したものでした。

 この「風のガーデン」がどんな物語であるのか、どう展開していくのか知りませんが、緒形拳は、きっとこれが最後の作品になることはわかっていたはずで、また倉本聡も知っていたことと思います。その二人が渾身の思いで作り上げたドラマを見逃してはいけません。中井貴一の顔は、もう少し脂肪が少ないほうが良いと感じましたが、それは御愛敬。これからしばらくの間、毎週木曜日は10時からテレビの前に釘付けになる予定です。

最後のテロップで、協力・旭川医科大学と出ていたところもちょっとうれしいです。北大ではなく、ローカルな旭川医大というのが大変良くて、気に入っております。一応、私の母校でもありますので・・・。

2008年10月13日 00:00

2008年02月11日(月) 医院の名称

数日前に鎌ヶ谷市医師会の会員名簿が配られ、今それを眺めていました。名簿といっても、B4の紙1枚に収まっている簡単なものです。会員数は88名で入会順に上から並んでおり、私は37番目ということになっています。
医師会に加入していない医療機関もあるので、鎌ヶ谷市10万人に対して百数十人の医師数は、医師不足が叫ばれている昨今としてはまずまずといったところでしょうか。問題はその中身である・・・、等という事を書き始めると話はあらぬ方向へ行ってしまうので、それはここには書かないことにして、医院の名称は実に様々であるなあと感じ入った次第です。

多いのが自分の名前を利用している医院で、次が場所の地名を付けている医院です。今のところ名前で重複している医院は見あたりませんが、地名の中には「みちのべクリニック」と「道野辺診療所」、「鎌ヶ谷医院」と「かまがや診療所」と「新鎌ヶ谷クリニック」など、ちょっと見ただけではまちがえそうな名称もあります。そこで「鎌ヶ谷山下眼科」という、地名と名前を両方つなげた医院も登場するのですね。

面白いのが、丸山先生が市内の丸山で開院している「まるやま眼科」。一体どっちの“まるやま”なのか、きっと両方なのでしょうね。

花の名前を付けた医院が2軒あります。「ひまわり眼科」と「ベルフラワークリニック」。ベルフラワーは「ききょう」で、市の花になっていますので納得ですが、「ひまわり」は個人的な好みでしょうか?

動物もあります。「青い鳥こどもクリニック」とは、幸せを運んでくるということでしょうか。ちょっと長いけど、ちょっと個性的で振り向きたくなりますね。房総の鋸南町に「ぞうさん耳鼻科」という医院があるのを知っています。耳鼻科では耳と鼻に特徴があるゾウをロゴマークとして使う医院は時々ありますが、それを名称にするとはけっこう大胆と思いました。

ちなみに市内で一番長い名称は「屋比久ペインクリニック整形外科」で、短いのは「畑医院」でした。もし今後、当院の名前を変更することがあれば、「鼻」や「喉」、特に「喉」は間違われることがよくあるので、「ないとう医院」とか、「ないとうじび科」など、なるべく簡単な名称にしたいと思ってます。「○×耳鼻咽喉科気管食道科医院」という名称を付けた知人がいますが、1つサインするのも大変そうですね。

蛇足ですが、問診中、前医の名前を呼び付けで話す患者さんがいます。ご本人は、個人を呼び付けているつもりはなく、あくまで場所として話しているのだと理解はしていますが、○○医院とか××耳鼻科とか、または□□さんなどと、名称や敬称を付けて話した方が無難だと思います。

呼び付けにして話すので、カチンと来て追い返してやったと話していた偉い先生を知っています。もっともその偉い先生は、耳垢取りに来院した患者さんも怒って返したというので、すぐ怒るタイプの先生のようでしたが、そんな目にあっても面白くないですから・・・。

2008年02月11日 00:00

2007年11月14日(月) 傷の治りが悪い

10月30日、抜糸しました。縫ったナイロン糸と皮膚の間にハサミの先端を入れて切るのですが、ナイロン糸がすべってすぐにはなかなか切れませんでした。縫うほどの緊張感ではなかったですが、自分で出来るのはこの程度のことですね。

それから2週間が経ちましたが、まだ完全には塞がってはいません。三角形に切れたのですが、その真ん中が引っ込んで黒くなっています。メスで切った切開創と違って、挫滅創だったのでそこの所の皮膚が一部壊死に陥ったのですね。三角形の角の部分はくっついています。

想定内ですが、こんな傷でも気になるものです。靴下や靴の着脱、風呂、歩行など一々制限を受けています。こんな時に誰かに足を踏まれたら大変です。気絶するかも知れません。怪我以来、フィットネスクラブにも行ってません。筋肉が落ちてきて、腹が出てきたように感じます。あまり歩かずに、車で移動していますし・・・。歳ですね。

2007年11月14日 00:00

2007年10月23日(月) 自分で自分の足を縫ってみました

昨夜、風呂から出るときに、扉の下の角に右足の甲を思いきりぶつけてしまいました。扉を閉めながら右足を抜こうとしたのですが、扉の方が先に閉まってしまったのですね。
見ると一辺が2㌢程の正三角形の穴が出来ていました。
皮膚がちぎれて取れてしまったかと思いましたが、手で周囲を寄せてみると上手く合わさるではありませんか。少しホッとしましたね。
角がグサッと刺さると傷は三角形に開いてしまうものなのですね。とりあえずテープで傷口を寄せて、ガーゼを当て包帯を巻いて寝ました。夜中には2~3回目が覚めましたね。今日は足を引きずりながら駅前を歩いて医院に到着しました。普段なら駆け上がる階段も使わずエレベターに乗りました。

昼休みにガーゼを開いてみましたが、予想通りぱっくりと口が開いていましたので、とうとう大縫合術が始まりました。執刀医は私です。患者も私という変な手術となりました。助手はいませんが、観客が時々控え室からやって来ました。

まず、痛み止めの注射です。毎年インフルエンザの予防接種は自分でやっていますが、あれよりかなり痛いですね。常日頃、患者さんには「ハイ!痛み止めです。ちょっと痛いですよ。」などと気合いを掛ける意味もあってややテンションを上げて言うことにしているのですが、自分に射すとなるとそうはいきません。
おおっ・・ムムッいててて・・・なんて感じて4カ所に射しました。と言うか1カ所は失敗しました。痛いので手が引けて針が抜けてしまったのです。少し経つと周囲が白くなってきました。ボスミンという血管収縮剤が効いてきたのです。ピンセットでソロッと触っても感じませんでしたが、何とも嫌な感じでした。そして針付きのナイロン糸で縫い始めたのです。何故かいつもと違って針の掛かりが悪いというか、今一力が入らず縫いにくいものでした。ジワッと汗も出て口も渇いてきました。4針縫ってようやく終了となりました。

患者さんを10人くらい続けて手術したような疲れが残りました。

スタッフの1人に、ビデオに撮っておけば良かったのに、と冷やかされました。10年余り前に息子の足の怪我を縫う場面をビデオに収め、テレビ局に送ったところ、賞品やら賞金やら大変良い思いをしたことがあります。
今回はとてもそんな余裕はありませんでした。1週間後に抜糸の予定です。

2007年10月23日 00:00

2006年12月03日(日) 昔の名前は「夕張炭坑病院」

月日の経つのは本当に早いもので、今年もあと1ヶ月となりました。
半年以上、日記を書いていないと、来院される患者さんから「最近更新されてませんね。」と指摘をされてしまうこの頃です。思うことはあっても、元来、明日出来ることは今日しない、というあきれた性格だけに今日まで来てしまいました。

最近気になっていることで、ちょっと変わったことと思われそうですが、北海道夕張市の財政破綻問題があります。テレビや新聞にもこの話題がしばしば登場していますが、市が630億もの借金を抱えて破産してしまったという問題です。

実は、私は鎌ヶ谷で開業する前の2年間、もう15年以上前のことになりますが、札幌に住んでいた頃に月に2回、夕張市では唯一の公的医療機関である市立病院へ出張していたことがあります。朝8時頃に自宅を出て、ちょうど石狩平野を東へ横断するように走り、最後につづら折りの坂道を上り、トンネルを抜けると夕張市街に着きます。夕張市は南北に細長い盆地の中にあります。その頃には既に炭坑は全て閉山となっていましたが、いわゆる炭坑街という雰囲気は随所に残っていました。マウントレースイスキー場や、ちょっと夕張には不釣り合いの小洒落たホテルを右手に見ながら5~6分北へ走ると、市立病院がありました。9時半から30~40人程の患者さんを診察し、お昼の弁当を頂いて、帰路に就いていました。平成2~3年の頃でしたが、当時の人口は2万5千人くらいだったと思います。最盛期が12万人で、現在はその十分の一程度だそうです。

有名な夕張メロンが特産ですが、その出荷時期だけ街道が少し賑わいます。ドライバー目当てにメロンを並べて売り出すのです。鎌ヶ谷でも秋には梨を売るのと同じです。デパートで買えば、当時でも1個何千円もするメロンでしたが、私が買ったのは300円から500円の物ばかりでした。1個100円なんていうのもありました。形がいびつ、へたが取れて無い、熟れすぎて日持ちがしない、というものばかりでしたが、味、色、香りは全く遜色ないものでした。

テレビの報道番組では市立病院の副院長が登場し(院長はすでに辞職していたようです。)、「病院存亡の危機だ。」と訴えていました。知り合いに聞けば分かることですが、今では、きっと耳鼻科は廃止になっているのではないかと推測します。

国からの締め付けは相当厳しく、転居可能な世帯はどんどん街を出ていっているようですが当然ですね。かつては黒いダイヤと呼ばれた石炭で賑わった街をはじめ、日本海側のニシン御殿、本物の金が産出され賑わった鴻の舞など、北海道はもともと栄枯盛衰が激しい土地柄と思います。テレビのコメンテーターは観光拠点にしろとか、映画村を作るなどという意見を述べていましたが、それはあの地域を知らない人の物言いと感じました。

私の予想はきわめて悲観的で、10年後には市立病院はおろか、「市」そのものが消滅して近隣に吸収され「夕張地区」という名前だけが残されているように思え、寂しい気持ちにかられますが、いかんともしがたいのです。

2006年12月03日 00:00

2006年05月31日(水) この領収書、何とかならんか!

4月1日から、また保険診療の法律が変わりました。もっとも法律の改正は2年ごとに繰り返し行われて来たので、そのこと自体はどうということではありません。
日本の保険診療では、初診料は何点、再診料は何点、レントゲンを撮ると何点、と言った具合に事細かにすべてに点数化されています。そして来院された患者さんは、その点数の合計から個々の保険の給付率に合わせた一部負担金を計算し、窓口で支払っていただいているわけです。

その点数が、2年ごとに変化するのです。中には消えてしまう項目もあれば、新設されるものもあります。そんな点数を1つ1つ医者はもちろん医療事務員でも正確に覚えきれるものではないので、最近では、多くの病院ではパソコンに登録して計算しているのが現状です。

今回の医療法の改正では6ヶ月の移行措置期間を設けて、窓口での領収書の発行が義務づけられました。その内容はただ一部負担金の金額を明記するだけではなくて、保険点数も逐一明記することになっています。大病院ではこれまでも領収書を発行していた所も多く、とかく不明朗だと言われてきた医療費ですから私も以前から、そうすべきだと思っていました。

先週から当院でも領収書を発行できるようになりました。ところがいざ領収書を出してみて私は大いに不満を感じています。領収書の紙が大き過ぎます。院外処方箋と同じA5サイズです。処方箋は薬局へ出せば無くなりますが、あの領収書を毎回渡されたら、どうお思いでしょう。どうしましょう。
大病院でたまに受け取る領収書ならまだしも、耳の手入れや、ハナのそうじに来院される患者さんが少なくない診療所には大げさ、と感じるのは私だけでしょうか?今のところ当院の窓口では「へええー」という印象だそうで、苦情はないようです。私ならそのうち、こんなの要らないと言ってしまいそうですが、その場合には所定の用紙に署名が必要なのだそうです!! ギャフン

2006年05月31日 00:00

2006年03月20日(月) 老眼鏡の使用経験

去年の暮れにとうとう、いわゆる老眼鏡を購入しました。
小岩で眼科を開業している高校時代の友人の所で、視力検査や眼圧、眼底など諸検査を受けました。医者が医者を診察するというのは、何かくすぐったい気持ちになるもので、まして昔の同級生ともなればなおさらであり、お互いが吹き出しそうになる気持ちを押さえながらの診察が行われたのであります。

最後に、右が+1.0だの、左が+1.5だのとかブツブツいいながら眼鏡の処方箋をかいて、「これ持って眼鏡屋さんに行けばいいよ。高いのは必要ないから、1個2~3千円でも十分だよ。安いのをいくつか買っといて、その辺に置いておくと便利だよ」との仰せでありました。

その友人の眼科医もそうですが、医者の多くは眼鏡をかけていて、眼鏡をかけるということに余り抵抗がないようです。ところが、私のようにサングラス以外の眼鏡は初めての者にとっては結構ストレスになるのです。確かに眼鏡を掛ければ細かい文字は大きくはっきりするのですが、回りはぼやけるし、常に鼻にひっかかっているのがうっとうしくなります。

フレームは「NIKE」製で、細く少々若作りで、ちょっとお高めものにしました。そのうち使うこともあるかと考え診察台の引き出しにしまっておきましたら、意外に早くその時がやってきました。
先日、ウナギの骨をノドに引っかけたおばあさんがやってきました。見えるのに上手くつまめず、内心イライラが募りました。試しにと、その老眼鏡を取り出し掛けてみますといやあよく見えますこと。すぐにウナギの骨を取り出すことが出来ました。

嬉しいような、哀しいような変な気分でありました。

2006年03月20日 00:00

2005年10月09日(日) 今はもう秋

今日は連休の初日で外は雨です。前回この「気まぐれ日記」を書いてからもう半年が過ぎてしまいました。特別何かトラブルがあったわけではありません。従業員募集もうまくゆき、一息ついていたらもう夏が過ぎてしまったというところでしょうか。

私は時々海釣りに行くので、しばしば船宿のホームページを覗いては、最近の釣果情報をチェックしているのですが、感心することに、船長が書いているのかホームページ担当者が居るのか知りませんが、多くの船宿で毎日の釣果をきちんと報告されています。大漁の日ばかりではなく、いや、大漁の日の方が少ないと思いますが、貧果が続いても、その日の天気や海の様子、釣り客のご機嫌など、色々書かれています。貧果が続いている時など、かえって書かない方が、お客が来るのでは・・・などと穿った見方をしてしまいますが、よく続けて書けるものだと思います。

 ところが、私が大学時代の友人と行く富浦の某船宿は、5月にイサキが釣れていると書かれてから、更新されずに今に至っており、来週行った際には、一言聞いてみようと思う次第であります。

例年のことではありますが、少し涼しくなると医院の方では「はな垂れ坊主」が増えてきました。それと、スギほど有名ではなく患者さんもそれ程多くはないのですが、秋の花粉症の患者さんも来院されています。秋はブタクサやヨモギの花粉が知られていますが、中にはカナムグラという雑草が原因となっている方もいます。調べ始めたらキリがありませんが人それぞれ、色々あるものです。

2005年10月09日 00:00

2005年04月17日(日) スタッフ募集

今日、とある広告代理店に申し込んでおいたスタッフ募集広告が朝刊のチラシに載っています。今回から、広告料五千円アップでインターネットにも掲載されるとのことです。と言うことは、ついでにこのホームページをご覧になる方もいるわけだなと考え、昨日に引き続きこの日記に一言書いておこうと思った次第であります。

開業医になると医師本来の仕事以外に、色々な仕事が覆い被さってきます。まさに院長兼、小使いなのであります。その中で最も重要であり、また悩みの種であるのが、この「スタッフ募集」なのです。開業以来、この“行事”は年に1~2回は繰り返されており、その度、広告原稿の打ち合わせ、場合によっては20人以上の方との面接、選考と不採用者へのお詫びと履歴書の返送、などの雑務が発生し、これが花粉症の時期とダブろうものなら、思わず「何処か遠い国へ旅に出てみたい」状態になるわけです。

当院のスタッフの中には、10年勤続で鎌ヶ谷市医師会から表彰された、誠にありがたい方もおりますが、中には1日で辞めた、3日で辞めたという不届き者も過去にはいました。このような事態だけは避けたいと願っておる次第です。

2005年04月17日 00:00

医療法人社団 弘翔会 内藤耳鼻咽喉科医院

〒273-0137
千葉県鎌ケ谷市
道野辺本町1丁目3-1
カーラシティ鎌ケ谷2F

院長 内藤 義弘

TEL 047-443-3387

駐車場

駐車場あり

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